すなわち概念の実在性は概念自身であるから、その精神においては、物質の根本の規定となっている自己の外にある存在という性格は全く蒸発してしまって、概念の主観的な関連性に、普遍性になっている。精神は物質を現存させる真理である、精神は物質自身では全く真理をを持たないという真理である。
03-08 22:35
それ自体として止揚されており、生命の概念、その実体は主観性として存在しているのであるが、その現存つまり客観性はやはり自己の外に落ち込んでいるような形であるにすぎない。しかし、概念としての精神の現存は、直接的な個別性ではなく、絶対的な否定性、つまり自由であり、したがって客観、
03-08 22:29
さらに、われわれは生命物質のこの量ることのできない物に数えられていることに気がつくのだが、それらは、重さを欠いているだけではなく、それらを物質的なものと数えられるようにするところの、その他の性質をみな欠いている。実際、生命という観念の中では、すでに自然の自己の外における存在は、e
03-08 22:25
測りえない素材になってしまい、そこに空間や時間をもたやすく算入できるものとなってしまった。このような測量の出来ないものは、重さという物質に固有の性状を、ある意味では、抵抗するという能力を失ってしまった。それでもなお、いまだその他に感性的な定在を、自己外存在を持っている。
03-08 22:12
心の非物質性についての問題は、一方では物質が心にあるものとして、また他方では精神が物として表象される場合にだけ、なお一つの関心を呼び起こしうるに過ぎない。それだけではなく、最近は物理学者の手の内では物質はいっそう希薄なものになってきている。物質は熱、光などのような重さでは c
03-08 22:12
心はそういう規定に染み渡る同一の観念性としてそのまま存在している。しかし、このような抽象的な規定において、心はいまだ精神の眠りであり、アリストテレスの言う受動的な理性であり、可能性から見て全てであるようなものであるに過ぎない。b(精神哲学§389)
03-08 21:44
心は自分だけで非物質であるにとどまらず、自然の普遍的な非物質性でもあり、自然の単純な観念的な生命でもある。心は実体であるから、精神のあらゆる特殊化と個別化の絶対的な基礎である。したがって精神は心の中に自らを規定するあらゆる素材を持っており、a
03-08 21:43
Author:enzyklo
FC2ブログへようこそ!